約 1,545,793 件
https://w.atwiki.jp/lunaticrun/pages/25.html
●DOL(大航海時代Online)の歩き方 不定期で更新する、DOLの歩き方 実際の歴史や豆知識、ゲームの楽しみ方をご紹介いたします。 2010/10/21 第1回目は、当商会があります、セビリアの重鎮「タベラ枢機卿」について タベラ枢機卿にいて。 フアン・パルド・デ・タベラ Juan Pardo de Tavera セビリア王宮で爵位授与や投資受付をしている好々爺(?)ですが、 現実世界でも、エライ人でした。 1472年5月16日スペインのトロにて生まれ 、1545年8月1日トレドにて没 王室枢密院議長(カルロス1世)トレド大司教 枢機卿 ※枢機卿:カトリック教会で、教皇に次ぐ高位聖職者の称号。 トレドに聖サン・フアン・バウティスタ病院(タベラ病院)という慈善病院を設立しています。 1541年に建設を開始するも、1545年タベラ枢機卿の死去により一時中断します。その後、1559年に完成する。 現在は美術館となっており、エル・グレコが描いたタベラ枢機卿の肖像画や 有名な「キリストの洗礼」など数多くの美術品が収蔵されています。 こちらで、エル・グレゴが描いたと言われる肖像画や他の収蔵品の一部が見れます。 こちらのスペイン語については各自翻訳してください。 http //www.artehistoria.jcyl.es/genios/museos/gal135-1.htm タベラ病院についてはこちらから http //es.wikipedia.org/wiki/Hospital_de_Tavera ちょっと物足りないですが、今回はここまでです。 タベラ枢機卿に関して日本語の資料が殆どなく、スペイン語のサイトを 翻訳しながら、生い立ち等を追っている最中です。 新しいことが分かりましたら、またこちらで紹介したいと思います。 次回は、スペイン王国の起こりやジブラルタル海峡についてお話したいと思います。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/satoschi/pages/2943.html
* |Unclassified languages| 言語類型 現用言語 使用文字 type living language writing system ISO 639-3 【dol】 言語名別称 alternate names 方言名 dialect names 参考文献 references WEB ISO 639-3 Registration Authority - SIL International the LINGUIST List Ethnologue
https://w.atwiki.jp/marinaro/pages/147.html
DOL的人物 ┣あ行〜な行(別ページリンク) ┃ ┣あ行(ヴェサリウス) ┃ ┣か行(カーンサウフ New!,ギーズ公爵,コンデ公爵) ┃ ┣さ行(サンタ・クルズ侯爵,楽士ジェズアルド,ジャーノ・フレゴーゾ,シャイロック頭取) ┃ ┣た行(タベラ枢機卿,鄭成功 New!,ドゥアルテ・ロペス) ┃ ┗な行 ┣は行〜ん(このページ) ┃ ┣は行(ブラガンサ公爵,国王フェデリーコ,ベリー女公ジャンヌ) ┃ ┣ま行(マリア王妃,王女マルグリット,技師マルティネンゴ,ムライ・ハサン New!, ┃ ┃ モチェニーゴ官房長官,モンモランシー大元帥) ┃ ┣や行 ┃ ┣ら行(ルイス・デ・レオン) ┃ ┗わ行・ん ┃ ┣DOL的年表(別ページリンク) ┗DOL的港(別ページリンク) あ(別ページリンク) ↑ か(別ページリンク) ↑ さ(別ページリンク) ↑ た(別ページリンク) ↑ な(別ページリンク) ↑ は ブラガンサ公爵 (リスボン王宮) +... ブラガンサ公爵ジョアン2世(ポルトガル国王ジョアン4世)João II de Bragança (João IV de Portugal) 1604〜1656 一口に「ブラガンサ公爵」と言っても歴代何人もいらっしゃいますが,大航海時代の中でもっとも有名なブラガンサ君と言えば,たぶんこの人,ジョアン2世(ポルトガル国王としてはジョアン4世)でしょう。ブラガンサ公爵家は代々ポルトガルの名家でしたが,もともとポルトガルは貴族間の勢力争いが多く王家の力が相対的に弱かったため,そこをイスパニアにつけ込まれ,王位継承のどさくさにまぎれて1580年に一旦イスパニアに併合されてしまいます。ただし,時のイスパニア国王フェリペ2世はイスパニア派や日和見派の多かったポルトガル議会を尊重(温存?)したため,一種の自治州(属国)のような形態で「ポルトガルという政体」はかろうじて存続します(なので,このような期間でもインドやアジアでは相変わらず,イスパニアとポルトガルが覇権争いを繰り広げることができたわけです)。転機は1640年,フェリペ3世4世と国王がかわってイスパニアの圧政に耐えかねた一部貴族たちが当時のブラガンサ公爵ジョアン2世を担ぎだし,クーデタに成功,イスパニアからの正式な「独立」を議会に認めさせます。これによりブラガンサ公爵ジョアン2世は,ポルトガル国王ジョアン4世と名乗り,このブラガンサ王朝はその後なんと1910年まで続くのです! 【余談】DOLのNPCとしては,2009年のLiveイベント「王女様のティーパーティ」で,「ブラガンサ王女」というNPCが登場しました。この王女様はおそらく国王ジョアン4世のご息女で,後にイングランド王チャールズ2世に嫁がれたカタリーナ・デ・ブラガンサCatarina de Bragança 様ではないかと思われます。^^ 国王フェデリーコ (ナポリ国王執務室) +... フェデリーコ1世 Federico I di Napoli 1452~1504 ナポリは今でこそイタリアの一部ですが,19世紀末のイタリア統一以前までは,イタリア半島のほぼ南半分を占めるイタリア随一の大国でした。・・・と言っても,その実態は外国による支配がその歴史の殆どを占め,列強の草狩り場となっていたという方が事実に近そうです。真にナポリが「独立」を保っていたのは,いったいいつのころだったのか・・・。 フェデリーコ1世もそういう点では,ナポリ市民にとっては外国人の王です。フェデリーコはイスパニアの王家トマスタマラ家の出で,時のアラゴン王フェルナンド2世とはいとこの関係でした。もともとフェデリーコの5代前にフランス人の王(ヴァロア=アンジュー家)から政権を奪取しているので,イタリアにおけるイスパニア勢力の傀儡の最たるものと言っても過言ではありません。しかし,フェデリーコはその母国に裏切られます。1501年,アラゴン王フェルナンド2世とフランス王ルイ12世の密約により,軍事的・政治的後ろ盾を失ったフェデリーコ1世は自ら身を引かざるを得ず退位,その3年後には亡命先のフランスで死去します。 ナポリの小さな小さな国王執務室にいらっしゃるフェデリーコさんは,どことなく弱気で陰気で物悲しそうな雰囲気を帯びています。おそらくこれからおこるであろう我が身の運命を予感していらっしゃるのではないでしょうか・・・。;_; なお,フェデリーコ1世の退位(廃位)を受けて,ナポリは一時フランス側に組み込まれますが,1503年には再びイスパニア軍がナポリを占領,1504年以降はアラゴン王フェルナンド2世自らがナポリ王を兼ね(ナポリ王としてはフェルディナンド4世),再びイスパニアがナポリを支配します。このように猫の目のように変わるシーソーゲームを展開しながら,ナポリは(いやイタリア全土が)フランスとイスパニアの横暴による泥沼のイタリア戦争(1521〜1544)に引きずり込まれていくのでした・・・。 ベリー女公ジャンヌ(カレー,ベリー女公ジャンヌ邸) +... ジャンヌ・ド・フランス Jeanne de France, Duchesse de Berry 1464〜1505 ベリー女公(女公爵,公爵夫人)という称号をお持ちですが,父君をフランス王ルイ11世,弟君にシャルル8世,そして夫君をルイ12世に持つれっきとした王族中の王族です。では,なぜ王妃から女公に「格下げ」になっちゃったかというと,この可哀想なジャンヌさんはルイ12世に離縁されちゃったからなのです。カソリックなのに離婚できるのかって・・・? できるのです。「白い結婚」であれば。つまり,子を成す能力がないと判断され,ローマ教皇の認可があれば教会法の元でも離婚が認められるのです。可哀想なジャンヌさんはもともと父王ルイ11世が独断的に決めた政略結婚でオルレアン公ルイ・ド・ヴァロワ(後にルイ12世として即位)の元に嫁がされたのですが,父王の死後,今度は自分の夫である新王ルイ12世の政略から離婚を突きつけられます。ベリー女公という身分は,この離婚の手切れ金のような形でルイ12世から贈られたものでした・・・。幼少から病弱で美貌にも恵まれなかったらしく,まさしく薄幸の姫君の典型例。可哀想〜。>< なお,ジャンヌさんはこの後尼僧になってひっそりと余生を送りますが,ただ泣きくれて隠遁生活をしていたわけではありません。もともと信仰に篤かったジャンヌさんは,「受胎告知修道会」という女子修道会を創設し,死後はその功績を認められ,なんと列聖されます。よかったね。いいことあったね。^^ ちなみに,佐藤賢一氏の「王妃の離婚」という小説はこのジャンヌ王妃の離婚を巡る顛末を題材にしていますが,この小説の中では,ジャンヌさんは決して美しくはないけれども毅然とした貴婦人として,お相手のルイ12世は超ダメダメのサイテー男として描かれてます。^^ 【余談】ベリー公爵領は,現在のフランス中央部ベリー県にほぼ相当し,主な都市はブリュージュです。DOLでは内陸都市はありませんので,ジャンヌさんはやむなくカレーにご出張になっておられるのではないかと思われます。ハイ。^^ ↑ ま マリア王妃 (アントワープ,マリア王妃邸) +... マリア・フォン・ハプスブルグ Maria von Habsburg 1505〜1558 15世紀後半から17世紀前半のいわゆる大航海時代において「マリア」という名を持つ王妃様は数多く登場しますが,(1) アントワープ(もう少し広く考えてフランドル地方)に住んでること,(2) ダ・ヴィンチと生年が重なってること(ダ・ヴィンチに関係するクエで彼女がキイパーソンになっています)の2点から,ほぼ彼女で間違いないと思います。 マリアさんはお父様がハプスブルク家のフィリップ美公,お母様がカスティーリャ女王フアナであり,さらにお兄様がイスパニア王カルロス1世と神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世,という超々セレブな家系です。さらにご自身もハンガリー=ボヘミア王ラヨシュ2世に嫁ぎ,文字通り王妃様となりました。なんというゴーヂャスなお家・・・。>< ちなみにハプスブルグ家の家訓は「戦は他家に任すがよい。幸いなるオーストリアよ,汝は結婚せよ」ですので,積極的な婚姻政策により他国への支配権を伸張するのが常套手段で,マリアさんもの婚姻もその一環だったようです(そして後のオーストリア=ハンガリー2重帝国の基礎が築かれていくのでした・・・)。 とはいえ,マリアさんも親や兄たちの七光りで有名なだけではありませんし,単なる政略結婚の手駒のお人形さんでもありません。彼女は夫の死後,カルロス1世に請われてハプスブルグ領ネーデルラントの総督になり,名目上ではなく実質的に執政を行っただけでなく,ネーデルラント貴族の立場も配慮して実兄のカルロス1世に物申したりと,独立前の火薬庫のようなネーデルラント統治をバランス感覚よく舵取りした有能な政治家でもあったのでした。カコイイ。^^ 王女マルグリット (ナント,王女マルグリット邸) +... マルグリット・ド・ヴァロワ Marguerite de Valois, “La Reine Margot” 1553〜1615 「王女マルグリット」って,どこの誰〜?って思う方も多いかと思いますが,「王妃マルゴ」と言えば「ああなるほど」と掌を打つ方も結構おられるのではないかと思います。そう,アレクサンドル・デュマの小説『王妃マルゴ』のモデルとなった王妃様と同一人物です。こういうところにビミョーな形で有名人を隠しているところがKOEIさんのニクいところ(笑)。 マルグリットさんはフランス王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの間に生まれ,フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と三人の王を兄に持つので,その流れから言うと立派な「王女」さまということになります。同時に,ナバーラ王アンリ・ド・ブルボン(後のフランス王アンリ4世)に嫁がれたので,その視点から言うと「王妃」でもあります。王族の家系って,ややこしい〜。>< デュマの小説あるいはそれをベースにした同名の映画などでは,王妃マルゴはサロメさながらのファム・ファタル(男を破滅に導く運命の女)として描かれていますが,実際にその通りだったかはともかく,波瀾万丈な運命に揉まれながらもしたたかに時代を生き抜き,文学や芸術に造詣が深く愛人や寵臣も多く抱える強い女性であったことは事実のようです。まず,ユグノー戦争中最大の惨事とも言えるサン・バルテルミーの虐殺は,彼女とアンリ4世(当時はまだナバーラ王)の結婚式の最中に起こった虐殺事件で,その時点で彼女は19歳。フツーだったらそこから悲惨な人生まっしぐらです。さらに夫の即位でせっかくフランス王妃になったのも束の間,夫アンリとはもともと政略結婚で疎遠だったため,子供ができなかったことを理由に離婚させられてしまいます。しかしここで悲しみに打ちひしがれたり修道院に籠っちゃったりしないのがマルグリットさん。何人もの愛人を抱え優雅な晩年を送ったただけでなく,なんと夫の再婚相手マリ・ド・メディシスともホントに仲良く交際したりしてます。強いというか,超越してるというか・・・。DOLにおいても彼女の前で毎晩多くの脳筋さんたちがひざまづいているのがわかる気がしますね。^^ 技師マルティネンゴ (アテネ,マルティネンゴ邸) +... ガブリエル・タディーノ・ダ・マルティネンゴ Gabriel Tadino da Martinengo 1480頃〜1544 この方はある意味,ヨーロッパではなく日本において有名かもです。DOLに登場するから・・・ではありません。>< 塩野七生大先生の『ロードス島攻防記』という小説に登場したからです。もちろん,実在の人物がモデルです。(というわけで,以下は殆ど同小説からの情報。^^;) マルティネンゴとは正確には彼の出身地の名前で,そういう点では「ダ・ヴィンチ」さんと似たような呼ばれ方です。DOLでは「技師」と肩書きがついているように,元々ヴェネツィア共和国陸軍の技術将校をしていたそうです。専門は城塞築城。DOLがらみで言うと,カンディアの要塞の設計も彼がたずさわったようです。折しも1522年にオスマン・トルコが聖ヨハネ騎士団領だったロードス島を攻略するのですが,その直前から彼はロードス島に潜入します。彼の腕を買ったリラダン騎士団長(同じくアテネのNPCです)に口説き落とされてヴェネツィア軍を脱走してきたらしいですが,これは公にトルコとの関係を悪化させたくないヴェネツィア政府が民間人扱いで送り込んだのではないかとの噂もあります。ロードス島はマルティネンゴ君が補強した要塞のおかげで数万にもおよぶオスマン軍の大攻勢にも半年以上耐えますが,最後は陥落し,リラダン騎士団長,ラ・ヴァレッテ(後のマルタ騎士団長,アテネNPC)と共に捕虜になった後,解放されます。ロードス島攻防戦の後,その功績を評価され騎士に叙勲されますが(当時の聖ヨハネ騎士団は貴族階級でなければ騎士になれなかったため,これは異例中の異例),どういう理由か騎士団の新しい本拠地であるマルタ島の築城には参加せず,今度はイスパニアのカルロス1世に請われてアントワープの都市防衛計画などにも参加したようです。まさに遍歴の職人技師!ってカンジ・・・? ちなみにマルティネンゴ君が造った城塞は現在でも残っており,例えば下記のサイトなどで写真を見ることができます。(本文はスペイン語ですが,とりあえず「Martinengo」と文書内検索して,あとは写真をお楽しみ下さい。^^) http //personal.redestb.es/rafaher/recinto.htm ムライ・ハサン (チュニス大守執務室) New! +... ムーライ・ハッサン(ムハマンド6世)Mulai-Hassan “Muhammad V” (??-1543?) まりなりょ商会(Marinaro商会支店・チュニス8番館)のはす向かいにお住まいなので我々にとってはお馴染みの無頼破産さん。w この方のご略歴もWikipedea先生やgoogleさんではなかなか教えて頂けず,探すのにひじょーーに苦労しました。つまり,歴史に「人物」として名を残す主役級ではなく,残念ながら「事件」の渦に飲み込まれて行っちゃった脇役級なのネ・・・。>< とはいえ,調べてみると,この方も歴史上非常に重要な「事件」の生き証人です。この時代,なにしろ「大航海時代」というくらいですからやれ大西洋だ太平洋だと外洋に目を向けがちですが,実は同時進行で当時の超大国イスパニア(=ハプスブルグ家)と新興国家オスマン・トルコが地中海および東欧(内陸)の覇権争いにしのぎを削っていた時代でもあったのです。イスパ勢対オスマンの攻防としては,第1次ウィーン包囲網(1526〜29),プレフェザの海戦(1538),レパントの海戦(1571)などが超有名ですが,実はその影に隠れてなぜか教科書ではさっぱり注目されないチュニスの攻防も,実は見逃せません。 さて,我らが無頼破産さん,もといムライ・ハサンさん。「大守執務室」なんてところにいるので,地方長官みたいな小役人みたいに思われちゃうかも知れませんが,立派なハフス朝のスルタンです。正確には,「でした」ですが・・・。><; 12世紀に興り一時は隆盛を極めたハフス朝も16世紀には衰退の一途を辿り,新興国家オスマン・トルコに押されっぱなしになります。1534年に事実上のオスマン海軍と言ってもよいバルバリア海賊の頭目バルバロッサ=ハイレディン (DOLでは,ポル・イスパの国イベントに登場するNPCです) に街を占拠され敢えなく逃亡。その後ムライ・ハサンさんは元スルタンの身にもかかわらず,なんとキリスト教国であるイスパニアのカルロス1世に庇護を求め, 海の傭兵隊長アンドレア・ドーリア (DOLではリグリア海NPC) 率いるイスパ海軍にハイレディンを追い払ってもらいます。こうしてキリスト教国の属国となりつつも自分の地位を確保するなんともトホホなムライ・ハサンさんでしたが,彼の死後,チュニスは結局1574年にオスマンに再奪回され地中海におけるイスラム勢力の拠点となっていくのでした・・・。やっぱりその名の通り,無頼破産さん・・・。><(アイタタ・・・ モチェニーゴ官房長官 (ヴェネツィア元首公邸) +... アルヴィーゼ・モチェニーゴ Alvise Mocenigo 1507–1577 モチェニーゴ家はヴェネツィアの名門貴族ですが,大航海時代に活躍した人としては,この人,アルヴィーゼ・モチェニーゴさんしかいないでしょう,たぶん。ちなみに,ヴェネツィア共和国において官房長官(Gran Cancelliere)という役職は貴族がなるものではなく,平民による官僚機構のトップですので,モチェニーゴ家から官房長官を輩出することはあり得ないハズですが,このへんはDOL的にはどういう設定なんでしょう・・・?^^; アルヴィーゼ・モチェニーゴは1570年から77年にかけて元首(ドージェ)の地位にあり,当時ヴェネツィア最大の危機と言ってもよい外交問題の難局を乗り切りました。それは,1571年に起きたレパントの海戦と,その戦後処理です。そもそもレパントの海戦は1570年にオスマン・トルコがヴェネツィアの最前線基地であったキプロス島を占領したことに始まります。レパントの海戦はその報復あるいは奪還のための海戦であったはずなのですが,キリスト教連合軍(イスパニア,ローマ教皇,ヴェネツィアなど)の足並みの乱れから,せっかく海戦に大勝利したにもかかわらず次の一手が出せず,ヴェネツィアは海戦の2年後にキプロス島をオスマンに割譲するという屈辱的な単独講和を結ぶに至ります。その決断を下したのが,モチェニーゴさん。むーん。現実主義者の苦渋の選択ですが,このあたりからヴェネツィアの斜陽の始まり・・・? 【余談】ヴェネ人のキャラを持つ方なら「アルヴィーゼ」と聞けば,国イベントで登場するあの高慢ちきなアルヴィーゼ君を思い出すかと思います。アルヴィーゼ・オルセオロなる人物はおそらく架空の人物かと思われますが,オルセオロ家は実在のヴェネツィア名門貴族で,西暦900年代後半〜1000年代前半にかけてドージェを輩出したりしてます。・・・って,全然時代が違うじゃーん。w モンモランシー大元帥 (マルセイユ離宮) +... モンモランシー公アンヌ1世 Anne I de Montmorency 1492〜1567 モンモランシー公爵家で「元帥」を拝命している人は複数おりますが, 元帥の他に宮内庁長官や貴族院議員などの政府要職を歴任にしているという点で,モンモランシー「大」元帥と言えば,この方,モンモランシー公アンヌをおいてほかはないでしょう。 アンヌさん(ってなんだ可愛らしい女性の名前みたいですね。肖像画を見ると超コワもてのオッサンですが。><)は当時有力貴族がカトリック派とプロテスタント派に二分されていたフランスにおいてカトリック派に属し,一時は摂政カトリーヌ・ド・メディシスの政権にも入りますが,彼女がプロテスタント宥和政策に舵を切ると,カトリック派の盟主ギーズ公フランソワと共にカトリック軍司令官としてプロテスタントを圧迫します。1562年にユグノー戦争が勃発すると,その緒戦でモンンモランシー公アンヌはプロテスタント側の捕虜に,コンデ公ルイはカトリック側の捕虜に,ギーズ公フランソワは落命,とマルセイユ離宮のNPC 3人組の運命はぐちゃぐちゃに絡まって奈落の底に落ちながら,泥沼の内戦に発展してくのでした・・・。 【余談】ちなみに「元帥」という日本語に対しては “Maréchal de France”と“Connétable de France” の2つのフランス語が存在します。前者は勲章であり役職名ではありません。DOLにも「マレシャル」という称号がありますね〜。アレです,アレ。^^ 後者の方は,フランス革命まで使われていた役職名で大臣職に相当し強力な権限を持っていたようです。アンヌさんは両方の肩書きを持ってます。さすが,大元帥さま。しかしアンヌさんがいた時代に,実際に「大元帥」(Grand Maréchal? Grand Connétable?)なる役職または称号があったかは・・・,いろいろ調べてみましたが不明です。orz ↑ や ↑ ら ルイス・デ・レオン (バルセロナ,ルイス・デ・レオン邸) +... フライ・ルイス・ポンセ・デ・レオン Fray Luis Ponce de León 1527〜1591 ルイス・デ・レオンはイスパニア黄金時代を代表する詩人であり人文学者であり神秘主義者です。そしてアウグスティノ修道会にしてサマランカ大学教授。イベリア半島最古の大学として知られる名門サマランカ大学で教鞭を取っていた彼は,ある日講義中に突然逮捕されます。容疑は,旧約聖書の詩編をスペイン語に訳したから。当時宗教裁判の嵐が吹き荒れるイスパニアにあって,これは大変異端的かつ挑発的な行為でした。それでも,詩人としての性か,修道士としての良心からか,意に介せず講義を続け,そして逮捕されます。逮捕後も己の姿勢を曲げることなく,幸いにして拷問も処刑も受けることなくその数年後には釈放され,再び大学にもどり講義を続けたそうです。最初の一声は「昨日お話ししましたように・・・。」まさに反骨と信念の学者魂・・・スバラシイ。 ちなみに,彼の作品や評伝は殆ど日本語になっておらず,現在日本語で入手可能な書物としては,かろうじてサマセット・モームの紀行文的エッセイ『ドン・フェルナンドの酒場で』(原書房)の中でその片鱗を伺えるのみかと思われます。以下,同書からの引用。 彼は神秘主義思想家とみなされる。しかし,神秘主義の道を求める人々に取って慰めとなるような,超自然的な祝福を経験したことは一度もなかった。また,神秘主義思想家の特徴である,現世のものごとからの超然とした離脱も,経験したことがなかった。安定しない自分の性質のために楽しむことができない恍惚の状態を欲し,苦しみながらそれを求めた。・・・(中略)・・・私(=モーム)はいつも考えるのだが,「愛することなしに生きることは出来ない (No se puede vivir sin amar)」という彼の言葉は,心にせまる悲劇的な意味を持っている。これは決して陳腐な言葉ではない。 ルイス修道士は,われわれがイタリア・ルネサンスの何人かの人物に見いだして驚く,普遍的な能力を持っていた。彼は数学者であり,天文学者であり,法学者だった。絵を学んだことはなかったが,かなりのレベルにまで達していた。彼は,神学の文献だけでなく,古典文学にも通じていた。・・・(中略)・・・彼の詩はただ優れているというだけではすまされないなにかをもっている。スペインでは,彼以上に完全な散文を書いたものがいない,とは,すべての人が判断するところだ。ペンを手にしたルイス修道士は,学者であると同時に紳士だった。彼は力強く,というよりは優雅に書いた。・・・(後略) ↑ わ・ん ↑
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/2076.html
作者・◆VxAX.uhVsM氏 第四弾です。 初のオリキャラロワ、力を抜いて突っ走ります。 DOLオリロワSS目次 DOLオリロワSS追跡表 DOLオリロワ参加者名簿 DOLオリロワ参加者名簿(ネタバレ) DOLオリロワ支給品情報 DOLオリロワ死亡者リスト DOLオリロワルール・マップ
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/2077.html
【OP】 話数 題名 登場人物 000 狂った二人の主催する殺し合い 青木百合、古川明美、長谷川祐治 【朝】 話数 題名 登場人物 001 テレビ局って入ったことないんだけど 河内憲二、西山恵理香 002 なんか、こんな状況…何て言うんだろう 大江太一、戸田愛、樋口卓造 003 崖から落ちるってなんかロマン 五十嵐修平、ブノワ・ディオール 004 走る走る、約一名 丹下真司、金谷若葉、山崎良美 005 やはり、人ってのはどんな状況でも変わらない…多分 長谷川祐治、国分由貴 006 対主催の要ほどロクなアイテムをもらえない ブルース・ヤスパース、青島結子 007 男三人、三人旅~いきなり完結編~ 安倍太郎、青島結子、ロバートソン・アラニス、(河北翔)、(茂田旬) 008 守りたい、守られてる 葛西英明、久世竜二 009 取られる苦しみと、取る悦び 長谷川祐治、国分由貴、寺島雪菜、二宮史郎 010 殺人鬼?いいえ殺人機です 石黒幸男、洲崎宏、住吉綾子 011 変人が必ずしも悪人とは限らない 丹羽雄二、河田遥 012 その病気、治らない事につき 川越哲司、若林薫 013 殺人者は外国人 中島明彦、マクファーレン・チャールズ、小林友子、林夕子 014 これは非常事態ですか? いいえ、案外そうでもありません 田畑耕作、久世竜二、高松仁美 【午前】 話数 題名 登場人物 015 剣に吸われし赤き液体 葛西英明、塚本由美子、山根淳子 016 3人の休息+1名の受難 樋口卓造、大江太一、ブルース・ヤスパース、戸田愛 017 意外性しかない彼に救いを 河内憲二、西山恵理香 018 そうだ、まとめて掃除しよう 丹下真司、金谷若葉、山崎良美、若林薫 019 二人小会話 丹羽雄二、河田遥 020 住宅街の戦闘、見物人を添えて 中島明彦、小林友子、マクファーレン・チャールズ、ロバートソン・アラニス 021 寝てる間に何かを聞くなんてできないから 安倍太郎、伊東良枝 【第一回放送】 話数 題名 登場人物 022 第一回放送(DOLオリ) 青木百合、(古川明美) 【午前】 話数 題名 登場人物 023 面倒事は離れるが吉 ブノワ・ディオール 024 少年は狂う、ただ一つのために 丹下真司 025 願いがかなわなかった刀の行方 葛西英明、河内憲二、西山恵理香 026 貴方を射ち落とす 州崎宏、丹羽雄二、河田遥 027 希望は潰えぬ 大江太一、ブルース・ヤスパース、マクファーレン・チャールズ、戸田愛、ロバートソン・アラニス 028 錯乱状態にお気を付けください 安倍太郎、伊東良枝 029 主催側の会話(主催の小言) 青木百合、古川明美 【昼】 話数 題名 登場人物 030 やられたらやり返していい時と駄目な時がある ブノワ・ディオール、(五十嵐修二) 031 それでも自重しないこの男 長谷川祐治、国分由貴、寺島雪菜 032 希望→絶望 田畑耕作、久世竜二、高松仁美 033 再、住宅街での戦闘 中島明彦、小林友子、樋口卓造、青島結子 【第二回放送】 話数 題名 登場人物 034 第二回放送(DOLオリ) 青木百合、古川明美 【真昼】 話数 題名 登場人物 035 こんな終わり方も何かの因果なのかもしれない 葛西英明、長谷川祐治、ブルース・ヤスパース、河田遥、国分由貴、寺島雪菜、青木百合、古川明美 【エピローグ】 話数 題名 登場人物 036 NEXT:終わりは始まりなのか 青木百合、?
https://w.atwiki.jp/anirowakojinn/pages/2135.html
DOLオリロワ第一回放送までの死亡者リスト DOLオリロワ第二回放送までの死亡者リスト DOLオリロワゲーム終了までの死亡者リスト
https://w.atwiki.jp/lotroquest/pages/241.html
EVILE AT DOL RINGWEST /ドル・リングウエストの闇 依頼者:ブレガー(BREGAR) 「ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)で古き戦があり、かの地の闇は一掃されたものだと我々は思っていた。しかし今、ゴブリンどもが遺跡の内を横行し神聖な場所を冒涜している。 汚らわしいゴブリンどもを遺跡から追い払ってもらえないだろうか?あなたがそうしてくれるなら、それは私の心を安んじるとともに、我が弟トロン(Toronn)も平安なうちに旅立てるであろう。 ドゥイルロンド(Duillond)の西にあるドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)にゴブリンどもはいる。どうか遺跡へと行き、汚らわしい輩を追い払ってほしいのだ。」 !ゴブリンを倒したらこちら 目的1 ●ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)のゴブリンを倒す ドゥイルロンド(Duillond)の西ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)へと向かい横行するゴブリンを追い払う。 ブレガー(BREGAR)は遺跡の尊厳を回復する望みを抱き、 ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)を横行するゴブリンを追い払うことをあなたに頼んだ。 目的2 ●ブレガー(BREGAR)に報告する ブレガー(BREGAR)はドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)の東に位置するドゥイルロンド(Duillond)にいる。 ドル・リングウエスト(DOL RINGWEST)に巣食うゴブリンを、あなたは出来得る限り倒した。 背景 ゴブリンはかってエルド・ルイン(Ered Luin)の聖なる地であった場所を冒涜している。 ブレガー(BREGAR)はゴブリンを追放し、かの地の神聖さがもどることを望んでいる。 クエスト・データ 適正レベル:9 クエスト・タイプ:ソロ 前提クエスト:LEAVING MIDDLE-EARTH/中つ国との別れ 派生クエスト:-
https://w.atwiki.jp/zero-flora/pages/41.html
商会専用DOL辞書 みんなで自由に編纂していこう! ※ページ編集では、最後の行の「#table_zebra()」の記述を消さないでください 【わ行】 ワールドクロック わーるどくろっく ワールドクロックとは、サーバー(ワールド)ごとの年代を変化させ、大航海時代(別項参照)におこった歴史的事件を体験してもらおうと 2ndageの大規模アップデート時(2012年9月)に実装された。全ワールドとも開始は1519年であったが、プレイヤーの行動で徐々にワールド間のクロック変動がわかれていった。2013年7月 1618年に全ワールドがリセット(NPC国家スウェーデン王国実装)時間軸の変動という新しい試みは評価したいが、プレイする側としては一月単位での変動はせわしない。ワールドの国勢で期待する結果がでにくいのが難。2013年11月には 歴史イベントの大海戦と通常の大海戦がボレアス鯖で発生し ネデ国民が大迷惑を被ったのは記憶に新しい。2013年12月 グランアトラスの大規模アプデでワールドクロック変動が二ヶ月ごとになり、クロスワールドで他の鯖へもいけることで 運営の狙いとプレイヤーの遊びやすさが近くなったとはおもう。歴史的事件に関わることでしかもらえない称号がいいね
https://w.atwiki.jp/roborowa/pages/99.html
◆dol7ALuruQ 氏が執筆した作品 009 潜行する魔神 氏が登場させしたキャラクター 1回 ドラス コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/dollabo/pages/321.html
プレイヤー名 ノート ブログの記事に載せて良いか ○ 質問要綱 ①こんにちは!まずはあなたのデュエルオブレジェンドで使っているHN(ハンドルネーム)を教えてください。 ノートです。 ②やっぱり由来とかあるんですか? 机の上にあるものから適当に(感を出したくてめっちゃ探した)。 ③そういえばDOLはどれくらいやっているんですか はじめて見つけたのはもう10年前くらい。当時は別の名前(忘れた)で何度か対人戦も。 休止したり、CPUと遊んだりしつつ、対人戦に顔を出すようになったのはごく最近です。 ④どういう経緯でDOLと出会いましたか? 遊○王を辞めたあと、でもやっぱりカードゲームがしたくなって。いろいろ探して辿り着きました。 ⑤ではDOLの面白いところをぜひ宣伝してください。 カード効果がシンプルなところ。始めるのは簡単だけど、やりこむほど新しい発見がある。 ほどよく運が絡むところ。一期一会の勝負になる。 ⑥ありがとうございます。次にお気に入りのデッキを教えてください。 1060G0N0Q5z5i6r6v6C6U6X7e7D7N7S888k8M9Tadbm 働くメイドさんデッキ。ご主人様(アスタロス様)のために全力で敵を殲滅します。 ⑦デッキコードまで下さるなんてかたじけない! ではDOLで好きなカードを教えてください。 ↑のデッキにも入っていますが、 No110 恐怖公アスタロス No134 命削りの風 です。 ⑧そのカードにはどのような魅力が・・・!? どちらも「ここぞ」という場面で光るカードです。 ⑨こんなカードがあれば面白い! みたいなカードはありますか? 「トロイの悪魔」 指定したプレイヤーの指定した場に「No095 ガーゴイル」を攻撃表示で疑似召喚。 とか。 ⑩尊敬するDOLプレイヤーの方などはいますか? kikiさんです。 ⑪その方の素晴らしいところをぜひお教えください! あんまり絡んだことはないけど、 味方だと心強く、敵に回すとなかなか倒せない。 あと、ぶろぐが面白い。 ⑫あなたはDOLについてどのような野望を持っていますか? 全員と対戦する! ⑬自分を一言で表すなら、こんな人物! 人懐っこいといわれます。 ⑭かっこいいですね! ではDOLのカードに例えるなら・・・? No004 魔物使い みんなといるとテンション(攻撃力)がアガります。 ⑮DOLプレイヤーでありブロガーであるアンドリューに一言! お友達になってください。 この回答に関してのコメントは以下のテキストボックスから 名前 コメント アンドリューの質問コーナー